2014年2月28日金曜日

ひさびさに書かねばならない(駄文モード)

書かねばならぬ。自分の弱さに。

今日、気づいたことがある。それは、ずっと前に気づくべきこと。
それは、「余裕の無い人間は、そもそも”余裕”が無い」ということだ。
余裕が無いからこそ、「人の意見を聞く余裕」もないし、「成長しようとする余裕」、「人を気遣う余裕」も無くなり、現時点の自分自身、という形無きモノにとらわれ、結果的に我執が強くなる。
つまり、人への感謝や、誰かに対する敬意、そういったものは余裕があって初めて生まれるのだ。
そんな事に長い間、うまく気づく事ができなかった。
僕はこれまで、そんな事にも気づかないまま、そんな人に対して、いつかきっと届く、と自分なりの正しいと思う意見を述べてきた。時に相手を傷つけ、自分すら傷ついても構わない、そんな覚悟も持ってやってきた。
だけど、こんな事はまったくもって無駄だった。余裕を与えもできないのに、誰かに行き方の話をして、何かを諭そうなんて、まるでおこがましい話だ。

これに気づいて、僕は大きく傷ついてしまった。だから、今、自己修復中。ネットの片隅にこんな事をどうしても書かねばならなかった。

だけど、僕は続けます。次は、この事を理解したうえで。

それがきっと、おせっかいがこの世界からなくなれば、未来はきっと暗くなるのだと信じる者の運命なのだから。

2013年2月13日水曜日

神の国

何がソースかわからないが、「日本」のことを書いた以下の文章がやけに心に残っている。

+++

世界的に有名なメガロポリスの中心に神聖不可侵の巨大な森がある。

その森にはその国の最高司祭が住んでいて、国民の安寧と安らぎを祈願している。
司祭は同時に世界最古の王家の末裔であり、世界で唯一の皇帝でもある。
伝説の3つの宝物は『神器』と呼ばれ、それぞれが霊的な古い聖所で固く守られ表にでることはない。
司祭の住む巨大都市そのものもその成立時において、
何重にも念入りにある呪術者が守りを固めた人工魔法防御都市である。
空前の規模で、もはやこれほどの術を施された街は術の発祥の国にさえないのだ。

というファンタジーがこの国の21世紀のリアル。

+++

世界の多くのファンタジーは歴史の中で消滅してしまったが、この日本はまだまだ不思議な国なのだろう。

僕らの守るべき未来が何なのかわからないが、こんな面白い国は残した方が良さそうだ。

未来に誇りを。子孫たちに夢を。勇気を。

Californicationと戦いながら。僕らはアイデンティティーを取り戻す必要があるのだ。

2013年1月31日木曜日

音楽、オーディオ、10年

音楽好きの後輩の影響を受け、ここ1ヶ月ぐらい、オーディオの事を考えている。

いや、正確には、「音楽のことを考えている」。

思い返せば、2000年付近まで、僕はよく音楽を聴いていた。特に、この頃に出会ったレッドホットチリペッパーズは、僕のお気に入りのバンドとなり、そして、いつも僕より10年ほど先輩の、やがて老いて行く僕の、目指すべき未来、敬意を払うべき先輩、生き方を指し示してくれる存在であった。

いったい、10年後、僕は何をしているのだろう。

その答えは、いつも手元に無い。気がつけば、妻をめとり、子を持ち、組織でも多少は重要な役割を担うようになり、そして、僕は十分年をとってしまっている。

そんな僕ではあるけれど、実際、僕の中身は12歳の頃からそんなに変わった気もしないでいる。

いったいぜんたい、みんなはどうなのだろう。どこか遠いところに来たような、そんな感覚で日々を暮らしているのだろうか。

ある友人は、昔より露骨に人間が造り上げた貨幣経済にとりこまれ、金を持つ持たないが価値観の基準になっているように思う。ある友人は昔では到底考えられないほどのしっかりした考えで社会に貢献したいと願うようになっている。

そして、子を持った母親となった友人たち(妻を含む)は「母としての本能」に目覚めているようにも見える。その姿は若さだけを求める若者にはきっとわからないだろう、美しさを兼ね備えている。

さて、音楽の話に戻ろう。

2005年頃、僕はなぜか音楽を聴かなくなった。その理由は明確だ。その時、僕は、音楽はきらめきを失ってしまった、そんな風に感じていた。

何を聴いても、そんなに感動しない。楽しくない。僕はその他の事で忙しくもあったので、結局音楽を聴くことをやめた。

どこかの本で読んだ話であるが、音楽を聴き続けると、最終的に行き着くのはクラシックであり、そして、現時点の音楽、そして未来の音楽が、あの時代に作られた音楽を超えることが無いと悟るようになると言う。

いささか、これは暴力的な意見なのだろうけど、それでも、どこか真実味がある。特に昨今の音楽業界は、誰かが何かを間違えてしまったかのように、おかしな方向へ向かっている。

音楽業界は「流行らせたいもの」をごり押しする。オーディオ業界は高級な機器を売るためにあらゆる手で「存在しない価値観」を生み出そうとしている。

「欲しい人」がいない世界でなんとか物を売ろうとしても、それはいびつな結果しか産まない。

さて、いつも脱線ばかりの発散脳しか持たない私のことであるので、音楽のこと、に戻ろう。

結論から言えば、最近、私はまた音楽を聴き始めることになった。

それには、重度の音楽マニアである後輩の影響が多分にある。

その後輩に薦めてもらったCDは、僕の2005年の絶望を、暗闇を照らすには十分の光明となり、停まった時計の針は2005年から2013年に向かってゆっくりと動き出した。

後輩がいなければ、今僕は音楽を聴いていないし、新しい音楽のある世界にも進まなかっただろう。そういう意味で、本当に出会いとは不思議なものだな、と心から感じている。

願えば夢がかなうなんて嘘だって知っている。ただし、願わなければ、未来は閉じてしまうことも知っている。良い音楽なら聴きたい、そう思う気持ちが、12歳の頃からロックを聴いていたその感覚が僕の運命を押し上げる。

Serph、amazarashi、In Flames。僕の目を再び啓かせた、この時代を担う音楽家達、ありがとう。

そして、僕はオーディオの事を考える。

正直なところ、2012年前半までの僕は、「まともな音楽を聴く機器」を何も持っていなかった。

そう、まともなスピーカーすら持たず、3000円で買ったイヤホン(だが、このイヤホンが大好きでもあるのだが。安さは正義だ。)とiPhoneで数年間、レッドホットチリペッパーズとジャパハリネットくらいしかまともには聴かなかった。

音楽は、ただ無音を埋めるだけの役割のみを果たし、それ以上を求める事も特にはなかった。

そして、今、音楽を聴くために、少しだけ投資してみた。おそらく金額でいれば、10万円程度だろうか。このうち、スピーカーには2万程度しか使っていないので、オーディオマニアからすると、なんて馬鹿な配分だろうといわれてしまうだろう。正直、半分くらいは勉強代として消えているような気もする。そして、いい歳なんだからもっと金を使ってくれ、と皆が言っている気もする。

それでも、それで僕のようなニワカの人間には十分だ。

全てが変わった。

12歳の時に聴いていたブルーハーツ。バンドブームで聴いていた筋肉少女帯、エレファントカシマシ、数々の名も無きバンド達。学生時代に聴いていた、忌野清志郎、UA、レイジアゲインストザマシーン、スピッツ、サニーデイサービス、Gorillaz。ジャパハリネット、そして、やっぱりレッド・ホット・チリペッパーズ。

全てのCDを再度iTunesより取り込み直し、つたない知識でそろえたスピーカーとアンプで僕は聴く。

そこには10年前、僕が音楽を聴かなくなった絶望から続く一筋の光が差し込む。

そう、何も絶望することなどなかったのである。僕はまだまだ何も聴けていなかったのだから。フィオナ・アップルはなんて美しいのだろう。そして、2000年に死んでしまった友人もこのアルバムが好きだったことを思い出す。

一つの出会いが力を産み、気付きが未来へつながる。

だから、人生は面白いと思ってしまう。そこに本当は絶望なんて無い。

10年後、僕は何を聴いているだろう。正直、また何も聴いていないかもしれない。

NO Music NO Lifeなんてまったく思わない僕だ。ただ僕は懐かしい歌を歌っているだろう。

そして、何をやっていても構わない。その時も前向きに面白いと思うことを実践できているのなら。
10年の歳月が何も変えなくても、僕は構わない。

ただ僕は懐かしい歌を歌っているだろう。

そんなものが人生なのだと、今日、思う。

2013年1月3日木曜日

21世紀にオーバードライブ

中学生の頃からざっと25年も読み続けている漫画がある。それは「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画である。もうすでに第1巻などは100回以上も読み返したであろうが、荒木飛呂彦氏の描くその物語の世界は、今でも色あせることも無く、僕に勇気を与えてくれている。

向こうからすると、私など、見知らぬ他人であろう。だけど、この出会い、この運命は私にとってかけがえのないものであり、そういった意味で、人と人のつながりなど、本当に奇妙なものである。

特に結婚し、子供も持つことになった昨今、その思いは特に強くなっている。出会いこそが運命だと、運命、それ自体が叫んでいる。

10年前も20年前も変わらず、私は何かを考えながら生きている。
そして、それを表現してみたいという気持ちも変わらない。

2013年。世界はどこへ向かうのだろう。いや、私はどこへ行こうとしているのか。

その昔、ポジティ部というホームページを運営していた。そこで、私は哲学的な話と、四コマ漫画を描いていた。あのバランスは、自分自身で言うのもなんだが、絶妙なバランスで、遅筆のため更新があまりできなかったが、それでも、一つの表現として、攻防が一体となった「見せるべき形」の一形態を築けたように思う。だが、日々の雑事の中、だんだんと更新ができなくなり、そしてやめてしまった。だけど、語るべき話がなくなることは無かった。

さて、それではもう一度はじめよう。今度は四コマ漫画の代わりに、もっと私の趣味的要素、それはコンピュータであったり、ガジェット類であったり、オーディオに関することであったり、主に日々の暮らしの中の事を織り交ぜ、その中で「語りたい、語るべき物語」を忍ばせていこう。時々は四コマ漫画も描ければいいが。

この奇妙な出会いで、読者の運命に多少の善き関与ができる事を願って。
妻が夫の料理の塩分濃度を少しずつ増やしていくがごとく。

焦らずに、じっくり、そして着実にやることにさせていただく。